家父長制度を廃止しろ

こんにちは!やみこです。
今回は家父長制度を廃止するメリットを書きます!
写真は真剣に中庭噴水をスマホに収める私です。




日本には家父長制度が普及しています。
これは江戸時代の武家制度がそのまま残っているもので、




コトバンク

父系の家族制度において、家長が絶対的な家長権によって族員を支配・統率する家族形態。また、このような原理に基づく社会の支配形態。
(https://kotobank.jp/word/家父長制-465852より)



wiki

家父長制(かふちょうせい、ドイツ語Patriarchat英語patriarchy)は、家長権(家族と家族員に対する統率権)が男性たる家父長に集中している家族の形態[1]。「父権制」と訳されることもある[2]。古代ローマに、その典型を見ることができる[2]。日本の明治民法において、家長権は戸主権として法的に保証されていた[1]
(https://ja.wikipedia.org/wiki/家父長制より)




weblio

かふちょう せい かふちやう- [0] 【家父長制】

(https://www.weblio.jp/content/家父長制より)




ウェブ上ではこのように解説されています。







今回は私が家父長制を廃止する制度整備をすべきと考える理由を2つ述べさせていただきます。





⑴一人一人が当事者意識を持って経済的・精神的に自立するため



私の中学の同級生は高卒で結婚して二歳の子供がいるのですが彼女の鬱イートは旦那さんに対する愚痴や不満、恋する少女のホンネ(笑)と理想像を叫ぶみやめこのリツイートばっかり、、なんでこんなに弱くて、依存的で、主体的に動けないんだろうとずっと思っていました。勿論彼女のその状況は周りの環境が作っているのでただ彼女が悪いということを言いたいとか、かわいそうと哀れんでいるわけではありません。ただ、戸籍に一家の責任者が書いてあること、父親が「誰が養っていると思ってるんだ」と言えることは潜在的に従属意識が生まれてしまうと思うのです。私も、依存は悪い面だけでなくいい面もあると思いますが、抜けようと思えばいつでも抜けられるものであるべきだとも思うのです。こういう一歩踏み込んだ話をすると依存の定義が浮いてくるので


依存(いそん、いぞん、dependence)とは、身体的依存を伴うもしくは伴わない、薬物や化学物質の反復的使用である[8]行動的依存身体的依存心理的依存は物質関連障害の特徴である[8]
日本語ではアルコール中毒薬物中毒のように、中毒と呼ばれることも多いが、現在医学用語として使われる物質の毒性に対する急性中毒慢性中毒(Intoxication)は、依存症とは異なる。
関連の用語として嗜癖(しへき、addiction)とは、物質使用を繰り返し、使用量が増加し、使用できない状態となると重篤な症状を呈し、使用に対する押さえがたい衝動が高まり、身体的・精神的悪化に至る状態である[8]
渇望が生じている状態を「依存が形成された」と言う。依存は、物質への依存(過食症ニコチン依存症アルコール依存症といった薬物依存症)、過程・プロセスへの依存(ギャンブル依存症インターネット依存症借金依存症)、人間関係関係への依存(共依存、恋愛依存症、依存性パーソナリティ障害など)があり[9]、重大な精神疾患にいたるケースもある。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/依存症より)


InterperSonal Dependency Inventory (IDI: Hirsch-
feld,Klermam,Gough,Barrett,Korchim,& Chodoff,1977)で は,依 存は「他者への情緒的信頼」「社会的自信のなさ」 「自立的主張」の3つ の下位尺度から構成されており,
「社会的自信のなさ」の高さが依存的な人の1つ の特 徴 として扱 われ て いる。
しか し,健 康な日常的な対人関係においては,依 存 は病的な もの というより,適 応的な役割 を果た してい ると考えることは不自然なことではない。むしろ,自 己信頼感や他者信頼感があるからこそ他者 にゆだねる ことができるのではないだろうか。他者や自分 自身に 対 して信頼感を持つ人 は,対 人関係上の悩 みが少なく, 他者か らの効果的なソー シャルサポー トを享受できる ことが示されている(Grace & Schill,1986)。また,青 年 期において特に友人 との良好な関係の形成は,個 人の 人格 的発達 に大 きな影響 を与 えるものであ り(Collins & Repinski,1994),人 は情 緒的 サ ポー トや具体 的援 助 の 提供 とい う機能 を友人が持つことを期待 している(Ar- gyle & Henderson,1984)。 友人 が この よ うな機 能 を果 た しうるためには,両 者の間に信頼感に基づいた親密な 人間関係が存在 しなければならない。人 は,自 分や他 者に対する信頼感があって初めて,友 人 などの他者 に 頼 ることがで きるのではないだろうか。つ まり,誰 か に頼りたいと思うのは,良 好な互恵的対人関係の構築を前提としているからではないかと考えられる。この 視点に立つと,互 恵的対人関係において,他 者に頼り,自分に必要なものを補 うことはむしろ適応的である と も考 えられよう。
(青年期後期における依存性の適応的観点からの検討 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/52/3/52_310/_pdf/-char/jaより)




思っていたより依存という言葉は厳しくて、全然依存でもない気がしてきました。
しかし、どうであれ一人の人間が自立して主体的に生きていくために、家父長制度は障害となると思うのです。






⑵男尊女卑など未だ残る潜在的な男女不平等の支配を叩くため



先ほども触れましたが「誰が養っていると思っているんだ」という言葉は本当に良くない。誰がその制度を作ったと思っているんだ、誰がその言葉を言える環境を作ってやっていると思っているんだと思います。江戸っ子だから、とか俺様キャラだから、って、、
これは完全に個人的な意見になってしまうのでやめておきます。
けれど、こういうことを言えるいまを作った環境の原因に家父長制度の名残があるとも思うのです。





(以下「学校では教えてくれない現代社会」より抜粋)

人類10万年の歴史のうち、99,950年は私たちの先祖様は「社会から要請された役割」を演じることをある意味強制されてきました。

その一つが男女は夫婦となり、子供をもうけることでした。

こうした役割を強制されたのは、ひとえに共同体ないし社会が成立する為でした。
共同体の中では、それぞれが好き勝手なことをやってしまうと立ち行かないのです。

特に食料を担う農民の存在は非常に重要でした。

農民の人口が減ることも避けなければならない。

このため、子供をつくり子供が土地を継ぐことで農地を安堵する政策がとられてきました。

農業においてもそうですが、食料を生産する主体は力が強い男性の役割です。

この男性の力をフルに使わないと食料生産が滞ってしまう。

そこで必然的に家事育児などの仕事は女性のものとされるわけです。

そしてその役割に応じた性質を担わなければならなかった。

例えば男の子の場合はイトーハムの昔のCMで有名な文言がありましね。

「わんぱくでもいい、たくましく育て」

これはまさに昔の望まれる男の子像なわけです。

これに対して女性はどうかというと、

「うる星やつら」にも出てきますが、

しのぶ

という名前が付けられる感じです。

しのぶですよ?

忍。耐え忍ぶ。

要は表にしゃしゃりでないで、男性の後ろでおとなしくしてろって感じですよね。

これは実はいまだに九州などではこの発想です。

九州に行くと驚きますが、女性は男性より先に料理に箸を付けないんですよね。

もう徹底されています。

東京の女性からしたら「はあ?」って感じでしょうね。

私にも娘がいますけど、そんなこと言ったこともありません。

でも、明らかに九州では子供の頃から女の子は「お父さんや男兄弟よりも先に箸をつけたらいけません」と躾けられていると思いました。

福岡あたりはもう違っていると思いますが、他の地域では

「女が大学に行くなんて」

という発想はいまだにありますよ。

まさに男尊女卑時代が続いている感じです。

私の知り合いの女の子(まだ20代)は親から勘当同然に東京に出て来て東京在住の叔父を頼って大学に通っていましたしね。

「娘が大学に行くなんてみっともなくて近所に言えない」

という「母親」の発言にブチ切れたらしいです(笑)

これが「現在」でもあることなんですよ。

つまり、女性は社会的役割として

男性を陰から支え、善き母として子育てし、家事にいそしみ家庭を守る。

ということが望まれてきたのです。

それは実に10万年のうち99,950年も長きに渡ってですから、政治家などにもこの感覚が抜けず「女は家庭をうんたら」と演説して炎上することが絶えない訳です。

私がSNSで少子高齢化の話をした時に、それなり世間的には有名な会社の社長さんから

「女性が子供を産むのは義務です」

と書いて寄こしましたしね。

義務なのかよ!

と心の中でツッコミいたしました。

このように共同体や社会から男性はたくましく力があり、生産能力が高いことが要求され、女性はその男性を助け、次世代の子供を産む役割を
「押し付けられた」
とも言えるでしょう。

ですから、江戸時代などは子供が出来ない妻を「石女(うまずめ)」などと蔑み、三行半(離婚)の理由になった。そしてその女性は一生日陰者として生きていかなくてはならなかったのです。

ところが、この50年で世界は激変してしまいます。

そのことによって社会から要請される女性の役割が変化していくことになります。
(https://kakuyomu.jp/works/1177354054882211066/episodes/1177354054882615675より)




これまで何十年か生きてきて変わりつつある男女平等社会であるけれど、
根本的なところは変わっていない。
ただ雇用形態が変わるだけではなくて根っこの、潜在的な原因を作っているものを変えるべきではないでしょうか。



これまでの当たり前が
これからのタブーになるかもしれないと思うのです。






最後まで見ていただいてありがとうございました。



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